2012年11月12日月曜日

学習性無力感 - 無気力は学習される-


マーティン・セリグマン(1967論文)

なるほど。。
尼崎事件にしても北九州事件にしても被害者達の行動に何故?が
消えない訳でやんすが、学習性無力感という
恐ろしい学習効果が発揮された結果なんでやんすね。
加えて、逆らったら更に酷いことをされるという恐怖。。

誰しも陥る可能性があるという点でも背筋が凍るでやんすし
今現在、自分自身が学習性無力感に囚われている事柄が
無いときっぱり言い切れる人が何人いるでやんしょう?(^.^;

それにしてもセリグマンの犬への電気実験。北九州の通電虐待に
似過ぎで怖いでやんす。松永死刑囚は知っていたのか。。((;゚Д゚))

◆◆

セリグマンという心理学者がこんな実験をしています.2群の犬に電気ショックを与えます(1967年の論文です.今だと動物虐待で訴えられるかもしれません).どちらの犬もハンモックのような装置で固定されています.1群の犬は,頭の横に板があって,頭でその板をうまく押すと電気ショックを止めることができます.もう1群の犬は,何をしても電気ショックは止められず,必ず一定時間の電気ショックを受けなければいけません.

 このような実験を繰り返しますと,電気ショックを止められる犬は,何回かの失敗を経て次第に板を押せば電気ショックが止まることを理解し,電気ショックが来るとすぐに板を押すようになります.板を押せば電気ショックが止まるということを「学習」したのです.

 これに対して,電気ショックを止められない方の犬は,なぜか次第に身動きをしなくなり,電気ショックを逃れようとする行動をしなくなります.この犬は別に学習しなかったわけではありません.むしろこの犬もしっかり「学習」しているのです.すなわち,この犬は何をしても電気ショックは止められないこと,言い換えると「何をしても無駄だ」ということを学習してしまったのです.「無気力は学習される」のです.

 セリグマンはこの課題に引き続いて,もうひとつの課題を行いました.犬たちはハンモックから下ろされて,今度は回避訓練箱という部屋に入れられます.部屋は犬の肩の高さの障壁で2つに仕切られていて,一方の部屋の床からは電気ショックが与えられます.犬はこの電気ショックの与えられる部屋にいるのですが,電気ショックがきたときに,障壁を乗り越えて隣の部屋にいけば電気ショックを受けずにすみます.電気ショックの来る直前には電気ショックの合図として部屋のランプがつきます.

 この課題に対して,先ほど頭で壁を押すことで電気ショックを避けられていた犬は,しばらくこの課題を経験した後,ランプが電気ショックの合図だということを「学習」して,隣に飛び移ることができます.ところが,先ほどの課題で電気ショックから逃れられなかった犬は,この課題ができません.電気ショックの来る床に座り込んで,甘んじて電気ショックを受けつづけるのです.

 この犬は,先ほどの課題で「何をしても無駄」ということを学習してしまっていました.そして次の課題が先ほどの課題とは異なった課題にも関わらず,「何をしても無駄だ」と思い込んでいるために,本当ならできるはずの課題もできないのです.つまり無気力は伝染するのです.そしてそれによってできるはずのこともできなくなってしまうのです.

 学習性無力感は,学校において「落ちこぼれ」ている子どもたちの心を非常にうまく説明すると言われているのですが,このことはスポーツ選手においても同様です.スポーツ選手では「落ちこぼれ」というよりは,度重なる怪我や長いスランプなどでやる気を失っている人の気持ちにこの「学習性無力感」があります.彼らは長い苦闘を経て,何をしても無駄だと思い込んでいる人が多いのです.私は,スポーツ選手にインタビューをすることが多いのですが,確かに無気力になってしまうのも仕方ないなと思うほど,怪我やスランプに長く悩んでいる選手もいます.しかしながら,学習性無力感の枠に絡み取られて,「何をしても無駄だ」と思っていたら,「できるはずのこともできなくなってしまう」のです.視点を変えれば,きっとまだできること,そして効果のあることはあるのです.学習性無力感の枠組みから抜け出すためには,陳腐な言葉なのですが,
「決してあきらめない」ことが大事なのです.

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